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世界中が注目!和食の歴史を3つのポイントでご紹介!

2013年12月4日-この日、「和食」
ユネスコの人類無形文化遺産に登録されました。

以後、2020年の現在に至るまで、世界では事あるごとに
「和食」が注目され続けています。

そんな和食は、なぜ
ユネスコの無形文化遺産に登録されたのでしょう?

 

 

和食において、実際に登録されたのは何も具体的なメニューや
目に見える特定の料理ではありません

和食をめぐる文化や姿勢、歴史そのものが、改めて世界に認められ
ユネスコ無形文化遺産に登録されたと言えるのです。

 

 

そこには、日本食における多様性や、新鮮で安全な食材
栄養バランスや四季折々に触れる季節感の表現
また、お正月などの年中行事にも通じるものがあります。

では、そうした和食の文化に触れながら
折々に転換期を迎えてきた、「和食」の歴史
3つのポイントに分けて、ご紹介していきましょう!

 

 

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「和食」の歴史①-縄文時代~弥生時代の和食の形

世界中が注目!和食の歴史を3つのポイントでご紹介!

 

 

「和食」の歴史は、遥か昔縄文土器の存在で知られる
縄文時代から始まります。

縄文土器という、底が深い土器を手にしたことにより
まず縄文人は、煮込む茹でるという工程を学び、スープなどの汁物まで
自力で作れるようになりました。

 

 

これはまさに、「火を使った調理」ベースが出来た時代
であると言えるのではないでしょうか?

この縄文土器の発明自体が、「和食」の元である、「日本食」の原点を担った
ということになりますね。

 

 

そんな縄文時代に次ぐ、弥生時代にもまた
数多くの「和食」の基盤が培われてきました。

当時の日本は、まだ狩猟・採集生活が中心であり
お米を食べる段階にはありませんでしたが、中国から渡来した使節団
農作物の基礎である、「稲作」を広めていきます。

現在の北九州地域を皮切りに、日本全土へ広まった稲作
約100年の時間をかけて、本州北端の青森県周辺まで伝わりました。

 

 

弥生時代の到来は、すなわち、日本人の食生活の中に
お米を取り入れ始めた新時代の到来であったとも言えますね!

異邦人の渡来による、食事の在り方の変化が、初めて日本人の中に
「主食」という概念が生まれた瞬間であったのです。

そんな弥生時代を筆頭に、ようやく「ご飯におかず」という
現代の食事のスタイルが確立されていったと言えます。

 

 

当時、おかずと呼ばれていた食材は、などの魚介類をはじめ
鳥獣の肉きのこ山菜など、現代にも反映されている、多彩なものでした。

こうしたことから、縄文時代から弥生時代にかけての「和食」の歴史
その多くが発掘によって分かってきた食文化であったと言えますよね!

 

 

和食の歴史②-日本人はもともと肉食だったのか

「和食」と言えば、あご出汁のお味噌汁マグロの刺身
焼鮭カニ鍋の他、アジの干物など、魚介類を中心とした料理が
イメージしやすいのではないでしょうか?

フレンチ料理やイタリア料理みたく、牛肉など肉類を使った料理
意外と連想しにくいものですよね。

 

 

実は、こうした無意識のイメージの中にも
「和食」ならではの歴史に、その理由が隠されています!

事の発端は、縄文・弥生時代を経てしばらく、「天武天皇」による治世
670年代飛鳥・奈良時代に至ります。

 

 

飛鳥・奈良時代の日本には、国外から仏教が伝来するようになり
天武天皇は、それら仏教の教えにより「殺生」を禁じます

それが引き金となり、天武天皇は「肉食禁止令」を発布
このことについて、日本書紀の中には、以下の条文が記載されていました。

「牛馬犬猿鶏の宍(しし:肉のこと)を食うことなかれ。
この他は禁令にあらず。もし犯す者あらば罰せむ。」
と。

 

 

しかし、実はこの法律動物の肉が全て食べられなくなった
わけではありません。

一部の残酷な狩りなどは禁止されていましたが
以外の動物を食べること
禁止されていなかったのです。

現に、この5種類以外の動物であれば、階級性別に寄らず
どの動物を食しても、罰せられることはありませんでした

 

 

そうした中で、当時の日本国民は、何を食べるようになったのか
ここで、海や川で泳ぐ「魚」に目をつけ始めたのです。

こうした所以から、「和食」においては魚が重宝
されるようになり、魚介類を多用する歴史が紡がれ始めたということですね!

 

 

そして、驚くべきはこれに止まらず、この「肉食禁止令」
法律としての役を終え、正式に廃止されたのは
なんと670年から、約1200年もの時を超えた1871年

開国もそこそこに、西洋文化が勢いよく流入し
牛鍋が流行した時代になるまでのその間、長い時間をかけて
肉食を避ける文化が続いたのです。

この歴史を踏まえると、約1000年以上もの間、何世代にも渡り
「肉は食べ物ではない」という概念が成立していったのも
致し方無い一面がありますよね。

 

 

「和食」の歴史③-幾多の時代を経て育まれる和食文化

世界中が注目!和食の歴史を3つのポイントでご紹介!

 

 

日本の「和食」における魚介食生活の中には、やはり宗教観なるものが
必ず付随していた、と言っても過言ではありません。

鎌倉時代の僧侶は、禅宗の信仰を主としており
その教えを元にした修行に励むことが、通念でもありました。

 

 

その中で築き上げられた、「精進料理」もまた
立派な「和食」の原点の1つであると言えます。

精進とは、まさに「修行」を意味する単語であり、質素倹約に徹した僧侶達が
禅宗の教えを基に作る、極シンプルな料理の事を、「精進料理」と呼びます。

 

 

鎌倉時代における禅宗の世界においても、肉類を断った食生活
前提に在りましたが、「精進料理」に至っては
元来、魚を食べることも、許されていませんでした

理由は至って単純なものであり、前述した5種類の動物同様
魚もまた、命の1つであり、「殺生」に値したからです。

故に、「精進料理」は、その全てが、肉や魚に代わり
菜っ葉ほうれん草といった野菜の他、豆などの穀物類で賄われていました。

 

 

私たちの生活にも馴染みがある、冷奴・つまりお豆腐が誕生したのも
実はこの「精進料理」がきっかけなんです!

現代は、「精進料理」ヘルシー且つ調理の手間が少ないことから
修行食以外の角度を通して、健康促進の目的で再び注目されています。

日本各地神社仏閣において、修行や信仰の有無に囚われず
一般の人々「精進料理」を味わえるイベントも数多くありますよね。

 

 

そして、室町時代戦国時代に入る頃には、より日本食のイメージに近い
「本膳料理」が築かれます。

「本膳料理」は、武家が来客人をもてなすための料理であり
現代においても、儀式としての要素が非常に大きい料理様式です。

だしの素の元祖である「だし汁」の文化が始まるのも
実はこの時代からのもの!

 

 

そして、その延長線上、文化人としても名高い、「千利休」によって
築かれたのが、現代における「和食」の完成形「懐石料理」になります。

意外にも、「和食」の本筋と捉えられる「懐石料理」
元を辿ると、「茶道」から派生した日本料理であることが分かります!

「懐石」とは、これまた禅宗の修行僧が、自らの懐に
温めた石を入れて身体を温め、空腹を凌いだという故事によるもの。

 

 

「本膳料理のような堅苦しい作法に縛られること無く
お茶会の前にお料理を楽しみましょう」
といったスタンスに近いのも
「本膳料理」「懐石料理」の1つの特徴的な違いです。

江戸時代になる頃には、そんな「懐石料理」
字を変え形を変え、「会席料理」と呼ばれるようになり
現代の和食を象っていったとされています。

 

 

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「和食」にまつわる文化と歴史~まとめ~

ここまでご紹介してきた、「和食」にまつわる文化と歴史について
少しでも興味深い内容は、見つけられましたでしょうか?

「和食」とは、遥か昔の日本で生まれ、幾多の時代を乗り越えながら
何度も形を変え、現代に受け継がれる日本の食文化であると言えますよね。

 

 

肉食を禁じられていた時代から、少しでも美味しくなるように
目の前の人に喜んでもらえるように、との思いやりを持って
日本食を生み出した先人達は、常に努力を重ねてきました。

その結果として、現在は和食の文化
世界に評価されるものになったということ。

ユネスコの無形文化遺産に登録された、その歴史的事実を糧に
先は私たち現代の人々の手で、また和食文化を守り
発展させていく努力
をしていきたいものですね!

 

 

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